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大丸の歴史 |
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1717 |
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創業1717年(享保2年)、下村彦右衛門正啓が、29歳の時に古着商「大文字屋」を屋号にした小さな店を京都の伏見に開いたのを創業としています。その後、1726年(享保11年)に心斎橋へ出店。そして1728年(享保13年)には名古屋へ出店、1743年(寛保3年)に、念願の"江戸への進出"を果たします。 |
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創業者・下村彦右衛門正啓幼い頃から利発で、何をさせても優れていました。僅か30年ほどの間に京都・大阪・名古屋・江戸に大店を構えて豪商になったこと、背が低く、頭が大きく、耳たぶが垂れ下がっていて福々しかったので、福助人形のモデルという説もあります。 経営理念「先義後利」(義を先にして利を後にする者は栄える)「先義後利」とは、顧客第一主義に徹すれば、利益は自ずからついてくるという考え方。「義」とは「商売における正しい道」「公共のために尽くす気持ち」を意味し、顧客満足を目指した経営を徹底して行いました。 |
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1743 |
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江戸進出と大きな風呂敷1743年(寛保3年)大伝馬町に江戸店を開きました。開店にあたり、萌黄(もえぎ)色(黄緑色)に大丸のしるしを染め抜いた大きな風呂敷を大量につくり、京呉服を江戸に送り込む際に商品を包み込みました。そのため開店告知に大きな効果を発揮しました。当時大消費地である江戸に出店した大丸は、寛政年間には、大伝馬町の南側の裏通りを「大丸新道」と呼ばれるほど大成功をおさめ、日本屈指の大店として発展を続けます。 |
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1837 |
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エピソード「大塩平八郎の乱」大塩平八郎は、1837年(天保8年)奉行に訴えを起こし、子弟数人と蜂起しました。このとき富豪や大商人はことごとく焼き討ちにあいましたが、大丸は日ごろから暴利をむさぼらず徳義を重んじていたことがよく知られており「大丸は義商なり、犯すなかれ」と部下に命じ、焼き討ちを免れたと言い伝えられています。 |
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1913 |
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商標の大丸マークマークは創業時から使用しており、「大という字は、一と人を合わせたもので、丸は宇宙・天下を示す」ことから、天下第一の商人であれという業祖正啓の志と決意が込められたものと伝えられています。大丸マークは1913年(大正2年)に、縁起のよい七五三の髭文字を商標登録しました。 |
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1953 |
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海外デザイナーと初めての提携1953年(昭和28年)10月クリスチャン・ディオールと独占契約し、ファッションショーを大阪、京都、神戸で開催しました。海外デザイナーとの提携は日本初でした。 |
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1954 |
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東京店開店1954年(昭和29年)10月、東京駅八重洲口の駅ビルに東京店を開店しました。1910年(明治43年)の江戸店閉鎖以来44年ぶりの東京進出です。同時にパートタイマー採用を開始しました。営業初日には20万人が来店、売上も予想以上の華々しいスタートを切りました。 |
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1961 |
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百貨店売上高が日本一に戦後の経済復興とともに大丸は業容を次第に拡大。東京店開店をバネに飛躍的な発展を遂げました。1960年(昭和35年)下期には売上高日本一を達成。以来8年半にわたり連続して王座につき名実ともに日本を代表する百貨店になりました。 |
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1967 |
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創業250周年1967年(昭和42年)、大丸は創業250年を迎え、数々の記念行事を盛大に行いました。5月には大阪と東京で「従業員祝賀会」を開催。また翌年4月には、記念行事の一環として「高槻研修所」を竣工、開所しました。 |
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1983 |
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新しい都市型百貨店誕生1983年(昭和58年)4月梅田店をオープン。「エキサイティングで趣味のよい店」というストアイメージの創造を目指し、ライフスタイルMDを推進。12階には「大丸ミュージアム」も開設しました。地下2階から地上14階という世界でも珍しい多層階の百貨店として話題となりました。 |
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1995 |
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神戸店被災そして復興1995年(平成7年)1月阪神・淡路大震災に見舞われ、神戸店を中心に未曾有の大被害を受けました。従業員の懸命の努力により、神戸店は同年4月、震災前の3分の1の売場面積で営業を再開。1997年(平成9年)3月、次代のモデルともいうべき新しい店作りで全体復興を成し遂げました。 |
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2003 |
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札幌店がオープン2003年(平成15年)3月札幌店がオープンしました。これにより大丸は全国主要都市をつなぐ計16店舗のネットワークを構築することになりました。札幌店は経営諸改革の成果を集結して構築した新しい百貨店事業ビジネスモデルが大きな成果を発揮し、開業半年で営業黒字化を達成するという快挙を成し遂げました。 |
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2009 |
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「新百貨店モデル」のスタート台、心斎橋店北館オープン2009年(平成21年)11月、心斎橋店北館がオープンしました。「お客様がわざわざ足を運びたくなるような、魅力的で収益性の高い店舗づくり(=新百貨店モデル)」のモデル店舗として、新しい顧客層の拡大、少人数体制による高効率運営を実現。特に、地下1階・地下2階(通称うふふガールズ)は、従来の百貨店にはないブランド構成、販売スタイルで、若い女性の支持を集めました。 |
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